流行りものには「面白いね」と興味を示す
水曜日の朝、教室に入ると空気の質感が少し変わっていることに気づく。黒板の横の席で、クラスの中心にいるグループが何やらスマホの画面を見せ合って盛り上がっている。「待って、これマジで草」「昨日のは神回だったわ」。近づいていくと、昨日の夜に配信されたばかりの人気アニメの話や、SNSでバズっているショート動画の話題だ。キミはカバンを机に置きながら、心の中でこうつぶやいていないだろうか。
「あー、またあの動画か。正直、何が面白いのか全然わからないな……」
そして、そのまま自分の席に座り、イヤホンをつけて友達の輪に入らずに自分の好きな音楽を聴き始める。あるいは、「そんなの流行ってるだけで中身ないじゃん」と、どこか冷めた目でその様子を眺めてしまう。
気持ちはとてもよくわかる。他人が熱狂しているものに対して、一歩引いて冷めた目で見てしまう自分こそが「大人で知的だ」と感じてしまう瞬間って、中学生の頃にはよくあることだ。流行りにすぐ飛びつく人を「ミーハーだな」と心の中で見下してしまうこともあるかもしれない。
でも、ちょっと待ってほしい。その「冷めた態度」や「無関心」は、実はクラスというジャングルの中で、自分自身の居心地を自分で悪くしている最大の原因かもしれないのだ。今回は、クラスで浮かないために、そして何より自分自身の世界を広げるために、流行りものとの向き合い方を文化人類学の視点から紐解いていこう。
「興味がない」を切り捨てることの代償
部活の帰り道、コンビニの肉まんを食べながら友達が「あのユーチューバーの新しい企画、見た?」と振ってきたとする。ここで「ううん、見てない。そういうの興味ないから」と答えた瞬間、会話のボールは地面に落ち、そこに小さな沈黙が生まれる。友達は「そっか……」と言い、別の話題を探すか、スマホに目を落としてしまう。
この小さなやり取りの積み重ねが、気づけば「あいつとは話しても盛り上がらない」「なんかノリが悪い」というクラス内のレッテルに変わっていく。誰もキミをいじめたいわけじゃない。ただ、共通の言語を持たない人と話すのは、エネルギーを使うから避けたくなってしまうだけなのだ。
ここで勘違いしてほしくないのは、「無理して自分が好きでもないものに熱狂しろ」と言っているわけではないということだ。嘘をついてまで「私もこれ大好き!」とファンを演じる必要はない。ただ、問題なのは「面白いね」と興味を示す姿勢そのものを放棄してしまうことだ。
人は、自分の好きなものを否定されたり、興味のないようにスルーされたりすると、「自分自身を否定された」と感じる生き物だ。流行りものに興味を示すということは、そのもの自体を好きになることではなく、「それを好きでいる目の前の友達の存在」に興味を持つことなのだ。
文化人類学から学ぶ「異文化理解」の作法
ここで少し視点を変えて、文化人類学という学問の話をしよう。文化人類学者は、アマゾンの奥地や、自分たちとはまったく違う言語や風習を持つ人々の村に何年も住み込み、その生活を研究する。彼らが現地に入るときに最も厳しく叩き込まれる鉄則がある。それが「自民族中心主義(エトノセントリズム)の放棄」だ。
難しい言葉が出てきたけれど、要するにこういうことだ。「自分たちの常識や価値観を基準にして、他人の文化や習慣を『変だな』『遅れているな』と判断してはいけない」というルールだ。
例えば、ある部族が「雨乞いのために奇妙な踊りをする」のを見たとき、科学的な合理主義だけで生きる現代人は「そんなの科学的に意味がないし、非効率だ」と笑ってしまうかもしれない。しかし、文化人類学者は違う。「なぜ彼らはこの踊りをするのか」「この踊りは彼らのコミュニティの中でどんな役割を果たしているのか」を、その人たちの視点に立って徹底的に観察し、理解しようとする。
これをクラスの人間関係に置き換えてみよう。クラスの中で流行っているアニメやゲーム、くだらないミーム(ネットのネタ)は、いわばそのクラスという小さな村の「文化」だ。キミにとって興味が持てないものだったとしても、そこには「なぜみんながそれに熱狂しているのか」という理由がある。
文化人類学の視点を持てば、流行りものに対する見方が180度変わる。
- 「なんでこんなのが流行るのか、意味不明」と切り捨てるのは、自分と違う文化をバカにする観光客の態度。
- 「ふむふむ、みんなはこのネタのこういう部分に共感して盛り上がってるんだな」と観察するのが、文化人類学者の態度。
クラスで浮かない人は、無意識のうちにこの文化人類学者のような「優れた観察者」になれている人たちなのだ。
明日からできる「面白いね」の魔法
では、具体的にどうすればいいのか。明日から学校で実践できる、流行りものへのアプローチを3つのステップで紹介しよう。
ステップ1:まずは「観測」することから始める
無理に会話に入ろうとしなくていい。まずは、クラスで何が流行っているのかを、一歩引いた「研究者」の視点で観察してみよう。
- 「最近、女子の間ではあのアイドルのポーズが流行ってるな」
- 「男子はあのスマホゲームのキャラクターのモノマネがブームなんだな」
このように、心の中で実況中継してみるだけで、冷めた視点が「好奇心の視点」に変わる。観察はすべてのコミュニケーションの第一歩だ。
ステップ2:「へえ、それってどういうものなの?」と質問する
自分が知らない流行りの話が出たとき、一番やってはいけないのは「それ知らない、興味ない」と会話をシャットアウトすることだ。逆に、最強のパス回しは「質問する」ことである。
例えば、友達が「昨日見たアニメのバトルシーンがヤバかった」と言っていたら、こう聞いてみよう。「へえ、そんなにすごかったんだ。主人公はどんな技使ったの?」。
人は、自分が好きなものについて語るとき、とても嬉しくなるものだ。キミが内容を知らなくても、教えてもらう立場になることで、相手は心地よさを感じる。興味の対象は「アニメ」ではなく「それを楽しそうに語る友達」で十分なのだ。
ステップ3:「面白いね(興味深いね)」という姿勢を見せる
流行っているものの「中身」に感動できなくても、「みんながそれに熱狂している現象」に対して「面白いね」と捉えることはできる。
「自分はあまりそのゲームやったことないけど、みんなが一斉に同じ話題で盛り上がれるのって、なんか部活の大会みたいですごいよね」
このように、少し俯瞰した視点からその熱気を肯定してあげると、周りの人は「この人は私たちのやっていることを否定せず、理解しようとしてくれる人だ」という安心感を抱く。この安心感が、キミを「クラスの異分子」から「話せる安心な存在」に変えてくれる。
流行りは「共通の言語」にすぎない
中学生の時期は、自分のアイデンティティ(自分らしさ)を確立しようと必死になる時期だ。「まわりのみんなと同じじゃつまらない」「私は私だけの個性を持っていたい」と思うのは、健全で素晴らしいことだ。
しかし、個性と「孤立」を履き違えてはいけない。個性を守るために、まわりの文化を拒絶し、壁を作ってしまうのは、自分の世界を狭くするだけだ。
クラスの流行りものは、いわばみんなが共通で持っている「教科書」や「共通の言語」のようなものだ。その言語を一切学ぼうとしない人と、日本語が通じない海外で生活するのが大変なように、クラスという社会で孤立してしまうのは当然のことなのだ。
すべてに迎合する必要はない。自分の芯はしっかり持ちながらも、まわりの流行りものに対して「お、今日もみんな盛り上がってるな。どれどれ、どんなものか見てみるか」という、ちょっとした余裕と好奇心を持ってみてほしい。
「流行りものには『面白いね』と興味を示す」
それは、流行に流されることではなく、まわりの世界と言葉を交わすための、優しくて賢いパスポートなのだ。明日、教室でクラスメイトが何かで盛り上がっていたら、少しだけ耳を傾け、面白がる視点を持ってみよう。そこから、今まで見えなかった新しい人間関係の扉が音を立てて開き始めるはずだ。